今日、世界はその姿を明らかにしたかも知れないのに。
楽屋には、ケータリングコーナーがあって、飲み物やお菓子、サンドイッチとか、おにぎりとか、ちょっと小腹を満たせるようなものが用意されています。冷たい飲み物はたいていクーラーボックスに入っていて、温かい飲み物は、コーヒーの入ったポットと、お茶や紅茶用にお湯のポットが並べておいてあります。時にはどなたかからのおいしそうな差し入れが、食べやすいように切り分けられて置いてあったりもします。もちろんすべて無料です。このケータリングコーナーはたいてい楽屋の前の廊下とかに設置されているので、ステージと楽屋を行ったり来たりするたびにその前を通るわけです。なので、さあ、お好きなだけどうぞと言わんばかりにきれいにお菓子や飲み物が並べられていると、ついつい手が出てしまいそうになるのですが、お弁当はお弁当でちゃんと用意されているので、むやみに手を出すと最終的に食べ過ぎになる可能性が非常に高く、危険です。
さて、今日はミューザ川崎というところに行きました。余談ですが、このホールはワインヤード型と言って、客席がステージの周りを360度囲むように配置されています。サントリーホールとかもそうですね。このタイプのホールは、ステージ後ろにも客席があるので、その下にあるバックステージも広く、ゆったり作ることができます。テーブルといすがたくさん置かれていて、オーケストラのメンバーがゆっくりくつろげるようになっていることが多いです。ちなみに今日のミューザ川崎には、アイランド型キッチンがあって、その上にばっちりケータリングの準備がされていました。
そこにはカップ麺の類もおいてありました。基本的には小腹が減った人用、ということだと思いますが、お弁当と一緒に食べるというパターンもよく見受けられます。僕は普段はお弁当とカップ麺を一緒に食べることは滅多にないのですが、昨日は入り時間もかなり早くお昼前だったこともあり、しっかり食べておこうかな、ということでミニカップヌードル(ノーマル)のふたを開け、お湯を注ぎました。そのとき、ポットの注ぎ口から琥珀色の液体が・・・なんと、お湯を入れようと思ってプッシュしたのは、コーヒーが入っている方のポットだったのです!
いつかこのような事故が起きるかもしれない、ということは、日頃から思っていました。なぜかというとコーヒーとお湯のポットはたいてい並べて置いてあるからです。しかも、全く同じ型のポットであることも珍しくありません。その場合コーヒーとお湯の見分け方は、ただ一つ、ポットに貼られた”コーヒー”、"お湯"というシールだけなのです。
間違えたことは注ぎ口からコーヒーが出てきた瞬間に気づいたので、たいした量ではなかったとおもいます。お湯をつぎ足せば問題なかったかも知れません。でも、量の問題ではないのです。バックステージでポットから温かい液体を何かに注ぐ、という行為自体は、半ば自動化されていますが、コーヒーと、お湯のポット、どちらのポットをよくプッシュするかというと、僕の場合圧倒的にコーヒーです。コーヒー党である上、カップ麺は滅多に食べないからです。故に、お湯を使う場合には、そのポットがお湯のポットである、という確認を、コーヒーを注ぐ時以上に注意を払ってきました。そこには俺はそんなくだらない間違いを犯す人間ではないのだ、という自負があったのだと思うのです。
そのとき僕はいったい何を考えながらカップヌードルのふたをめくっていたのでしょう。ふたをめくる動作もおそらく無意識のうちに行われたのだと思います。今まで何個のカップヌードルのふたをめくってきたか考えれば、不思議なことではありません。車や自転車の運転と同じで、最初は意識的にやらなければできない動作も、反復する内に無意識にできるようになります。人間はそのようにできています。でも、このときはその柔軟性が仇となったのです。
注いだ瞬間に僕の情けない「あっ!」という声が広々としたバックヤードに響き渡り、周りのスタッフにそれと知れてしまいます。周りの人が駆けつけて、心配そうに声をかけてくれました。「みんな1度はやることですから気にしないで」「食べたことあるけどまずくて食えないからやめた方がいいよ」みなさんありがとう。でも優しくされると余計つらい。遠くでケータリング担当のお姉さんが心配そうにこちらを伺っています。嗚呼、恥ずかしい。これからもずっとこのイベンターさんにお世話になるのに。たぶん僕は一生言われるんだ。「西嶋さんはカップラーメンにコーヒーを間違えて入れちゃうような人なんだよ。」ちがう、ちがうんだ!でもいくら心の中で叫んでも、僕がカップ麺にコーヒーを注いだ事実というのはこの世界が終わっても消えはしないのです。これから僕はどうやって生きていけばいいのでしょうか。昨日までは自分がカップ麺に間違えてコーヒーを注いでしまうような人間だとは、思ってもいなかったのです。そして、そのとき何を考えていたかは、カップヌードルにコーヒーを注いでしまった、と認識した瞬間に、雲散霧消しました。もしかしたら宇宙の真理だったかもしれませんが今となっては知るよしもありません。永遠に。
このような悲劇が二度と繰り返されないことを願うばかりです。皆さん気をつけてくださいネ。